ある雷狼竜の噂  ラニャーニャ村のカク  1  渓流、エリア9。  どこか穏やかな表情で寝息を立てているのは、一頭の若いジンオウガだった。  苔のむす岩場に横たわる、引きしまった青と黄色の巨体。  今日もこの地に美しい朝日が昇った。  ジンオウガはマズルを大きく開けてあくびをひとつすると、ややおぼつかない足取りで四足の身体を起こした。  長年二足歩行で過ごしてきたせいで、ときたま生じる四肢を操るのに不慣れであることを感じさせる不自然な動きがなければ、そこにいるジンオウガが昨日まで「人間だった」と言われても、誰も信じようとはしないだろう。 「彼」はユクモ村在住のハンターであったが、昨夜の渓流ベースキャンプでの一件で、その身をジンオウガに変えられて――いや、彼は自らジンオウガになることを望んでいたので、その身をジンオウガに「変えて」いたのだ。  もっとも、人間がモンスターへと姿を変えるなど、普通は絶対にありえない出来事であったが。  ようやく安定した四足の体制を取り戻したジンオウガは、その身体を覆う鱗が濡れていることに気付いた。あたりには眠りにつく前には無かった水たまりがそこかしこにできている。おそらく、寝ている間に雨に降られたのだろう。  ジンオウガは犬のように身震いして、帯電毛にまとわりついた雫を振り払うと、手頃な大きめの水たまりへと近付き、その顔を雨が生み出した自然の鏡に写した。  はたして、そこに映るのは見慣れた人間の平坦な顔ではなく、長いマズルと鋭い眼光を有す、狼にも似た青と黄色の牙竜の顔だった。やはり夢ではなかったのだ。  ジンオウガは水たまりが写し出した自分自身の美しい姿に見惚れ、しばらくその場を離れずにいた。  2  渓流、エリア7。  「ふぅーーっ」  ユクモ村の若いハンター、ツキマサは、周囲に横たわるルドロスの群れの骸を確認し、その手に握られていた大剣を背へと納め、そのまま水竜の骸に剥ぎ取りナイフを入れた。  「っと、まだ時間はたっぷりあるかな」剥ぎ取りを終えたツキマサは次に取る行動を思案していた。  今回ツキマサが受注したのは渓流の採取ツアー。ツキマサは装備こそアオアシラの素材をふんだんに使ったものを身につけているが、まだまだ駆け出しハンターの身だ。素材はいつも不足気味だし、通常のクエストとは違い、 こうして自由気ままに欲しいアイテムを求めて駆け回れる採取ツアーはありがたいと思ってた。  出発時点では、生態状況も特異な点はみられていなかったみたいだし……  ツキマサは腰のポーチの中身を探り、次の行先を決めた。  「…よし。グレート足りないし、ハチミツでも取りに行こう」  ここでいつまでも水たまりを眺めていても、やがてそれは蒸発してしまうだろう。  そう考えたジンオウガは心なしか軽やかな足取りで、その巨体をエリア6へと走らせていた。  あそこなら清らかな池もあるし、思う存分この身体を眺めていられる。  それを行動に移した矢先、ジンオウガの行手から紫の一群が逃げるように走ってきた。  ドスジャギィの率いるジャギィの群れと鉢合わせたのだ。  べつに、お前たちと戦おうとは思ってもいない。  そう思ったジンオウガは、ジャギィたちを一瞥するのもそこそこに、その場を通り抜けようとした。しかし、どうもジャギィたちの様子がおかしい。  その泳ぎっぱなしの視線と小さなマズルから漏れる吠え声は、たしかにジンオウガである自分自身を畏れているようでもあったのだが、それ以上に、なにか大きなものから逃げ切ろうと恐怖を抑えているようでもあった。  なにかが、この渓流にいるのだろう。  だが、この「彼」はそう簡単に曲がる性ではなかった。 『グル…………。』 小さく唸り声を漏らしたジンオウガは、ジャギィたちを避けて、再び河原へと駆け出したのだった。  渓流、エリア6。  美しい渓谷を前に、ツキマサは小さくつぶやいた。  「あれ……間違えちゃったか?」  エリア7から、蜂の巣があるエリア9へ行こうとしたものの、間違えてそれぞれエリア6とエリア9に続く分かれ道のうち、ツキマサはエリア6の方の道を進んでしまったようだった。  「仕方ないや…引き返そ」  少しだけおっくうな足を動かしながら、ツキマサがそう言いかけた瞬間、なにかがツキマサの目に入った。  そこにいたのは、魚の棲む池をまじまじと眺めている、一頭のジンオウガだった。  これは、魚でも捕って食べようとしているのだろうか?いや、それはない。以前、先輩ハンターの一人から聞かされたところによると、渓流のジンオウガの主な獲物はガーグァで、川魚なぞ食べないというのだ。 『ォオン……。』  ジンオウガはそうつぶやくように吠えると、池を鏡に見立てたかのように、自身の態勢を、今度は獣の屈強な腕を強調したポーズに変えたのだった。  それはまるで、ジンオウガが自分自身に見惚れているようだったが、  「いや、自分に見惚れるナルシなモンスターがいるか。それよりこれはチャンス…かな?」  ツキマサは非現実的な考えを振り払い、自身の大剣を構えて攻撃の体制を作った。  自分がジンオウガ狩猟を任されるようなランクではないことはわかっている。しかし、落としもので鱗のひとつやふたつでも拾えたら、ある意味泊が付くだろう。そんな軽い考えだった。  ジンオウガは未だに水面に視線を落としていて、こちらを警戒するような素振りは見せていなかった。  「…よしっ」  ツキマサは呼吸を整えながら一歩踏み込み、  「はぁあああっ!!」  先制の一撃をお見舞いしてやろうとその柄物を振り降ろした。  その刹那だった。  ジンオウガはこちらに視線を向けたかと思えば、顔の向きは変えることなく大きく横に跳び上がり、  ザンッ!  大剣が、先程までジンオウガが立っていた空間を切り裂いた。  ジンオウガは、振り降ろされた大剣から身をかわしたのである。  「……えっ…?」  戸惑うツキマサが視線を横に向けた先にいるジンオウガは、こちらを鋭い、しかしどこか優しげな目付きで見つめていた。  間一髪、といったところで少年の斬撃を見事にかわしたジンオウガは、こちらを斬り伏せようとしたハンターの顔を見て、表情には出さずに小さく驚いた。  こいつは、ツキマサじゃないか。  ユクモ村でハンターを営んでいた頃の「彼」とツキマサは、いわば「狩友(かりとも)」と言える仲だった。  ハンターを初めて日の浅かったツキマサを、彼らユクモ村専属のハンターたちはよくクエストへと連れていき、狩猟の手ほどきをしてやっていたものだ。  ツキマサからは、「先輩はほんっとーにジンオウガのことばかり教えてくれますね」とイヤミを言われたりしたこともあったが…  早くも懐かしき思い出に浸るのもそこそこに、ジンオウガはその視線を再びツキマサへと向ける。  「……えっ…?」  どうやら少年は、隙だらけの相手に相当な先制攻撃を加えたと思っていたのに、それを軽くかわされて、とても動揺しているようだった。  ツキマサは出あった時から自信過剰で楽天家な1面があった。自分が人間だったら厳しく叱責してやる所だったが、今のおれ達はハンターとモンスターだ。言葉は……通じないだろう。  ここで後輩であり、旧友であったものと殺しあうつもりはない。んっと…エリア8なら、水面があるだろう。  そう思案しつつ、ジンオウガが来た道に戻ろうとすると、  ジャキンッ!  そのマズルの前にランスの大盾が立ち塞がった。  「何をやっているんだツキマサ!さっさと逃げろ!!」  ランサーはジンオウガの行動を抑えつつ、「彼」にとっては懐かしい声で怒鳴った。  「っつーー!?ザントのおっさん?!」「お前がジンオウガに敵うとでも思ったのか!こいつは俺がやるからこの場から逃げろ!」  ザントと呼ばれたランサーのぶっきらぼうな怒鳴り声も、目の前のランサーが身に着けている、「年季の入った」という言葉が似合う古びたレウス装備も、彼にとっては思い出深いものだった。  ジンオウガは大盾に抵抗せずに、それを掲げるランサーの姿を見つめていた。  ザントは、「彼」にとって先輩にあたるハンターだった。自分達の世代がツキマサに手ほどきしてやったように、ザントは彼の指導にあたり、そのまま狩友となって何度もモンスターの猛攻を共にかいくぐってきた仲だった。  そう回想している間にも、ランサーは攻撃の体制へと切り替えていた。  「……しっ!」  ランスの突きは予備動作が大きい。ジンオウガは旧友の繰り出す突きをひたすらにかわし続けたが、逆にザントのほうに攻撃をしかけることはなかった。  「なんなんだ、こいつは」  ザントは面食らった。目の前にいるこのジンオウガからは、まるで戦意というものが感じられなかったからだ。  わざとらしく後ろに下がってランスから距離をとったジンオウガは、お前を殺す気はさらさらない、とでも言いたげにあくびを一つかいた。  「そっちこそ何やってんだよおっさん!早くこっちに来て!」  エリア8へ先に逃げたツキマサが、ザントを呼ぶ声が響いた。  「…っそっ!」  ザントは武器をしまうと、こちらを一瞥しながら鍾乳洞の方へ走り出した。  ジンオウガは、ただその場でかつての仲間達を眺めていた。  3  「バカ野郎!お前はそうやって身の程をわきまえないからいけないんだ!」  渓流、エリア8。  ツキマサから先ほどの戦意のないジンオウガと交わった際の話を聞いたザントは、その怒鳴り声を鍾乳洞に響かせていた。  「はい…反省してま…っす」  ツキマサは反省の視線をザントに向けていた。自信過剰だが、素直なところもあるのがツキマサの良い所だった。  「―っていうか、おっさんはなんでここにいたんだよ?!」  「…イビルジョーの、狩猟クエストだ」  ザントが、全てを喰い尽す「凶暴竜」の名を口にした途端、ツキマサは目に見えて青ざめていた。  「…!い、イビルジョーって…!!」  「そうだ。奴にこの渓流の生体系を破壊されたくはなかったからな。」  「それで、終わったんすか……」  「ああ、ジンオウガなんかに襲いかかろうとするお前さんを見かけたすぐ直前にな。ひとまず安心しとけ」  その報せを聞いて安堵の色を浮かべたのはツキマサだけではなく、二人の旧友の会話を、エリア6とエリア8を隔てる滝越しに聞いていたジンオウガもであった。  常に膨大なエネルギーを消費し続けるため、その地に根を張る生物を絶滅させるほど喰いつくすことすらあるイビルジョー。  その餌食になるのは小型モンスターだけではなく、リオレウスや、それこそジンオウガなど危険度の高い大型モンスターですら例外ではなかった。  「にしても、あのジンオウガを見てると、誰かを思い出すんだよな…」  「俺なんか、ジンオウガってだけで「アイツ」を思い出したよ」  「アイツ呼ばわりするな。お前にとって彼は先輩だろう」  今度は談笑する二人が思い浮かべてるのは、間違いなく自分のことだと気付いたジンオウガは、胸が少々締め付けられる思いだった。  「アレっ、先輩も昨日おとといあたりに渓流に行ったんじゃなかったっけ?」  「ああ、彼にしてみては随分と時間をかけているみたいだな」  ユクモ村から渓流は行き帰りにそんなに時間を用さない。  「たしか昨日の夜あたりに渓流に着いてたはずだな。どうせ彼のことだからジンオウガの観察でもしに行ったのだろう」  「あはは。さっきのジンオウガも見せてあげたかったな」  ああ、あいつらはおれがもう「戻れない」ことに気付いていないんだ。  確かに昨夜渓流に到着して、その後ジンオウガの観察をしていたのには間違いがない。  しかし今回はその観察しているジンオウガが鏡像の自分自身であったし、もう二度とユクモ村には帰られないのであった。  おれが突然いなくなって、残された仲間たちは何を思うのだろうか。  今後一生ジンオウガとして過ごすことに絶望を感じておらず、むしろジンオウガとして死ねることに喜びすら感じていた彼が、初めて人間としての生に未練を感じた瞬間であった。  既にいない人間である自分について語らいながら、二人は笑っていた。正確には、滝越しなので表情は見えないはずなのだが、きっと笑っているのだろうとジンオウガには思えた。  申し訳無い、ただただそう思いながら、ジンオウガは大瀧を去った。  渓流に、夜が訪れた。  涼しい風と潤った空気がジンオウガの帯電毛をなでるが、彼の表情は浮かないものであった。  確かに自分は自ら望んでジンオウガと化した。しかし、それは仲間達との永遠の別れでもあったことに、初めて気付かされた。  今頃、ユクモ村ハンターズギルドでは「渓流のクエストへと出発したハンター一名が、消息を断った」というショッキングな事件の発生で大童になっているだろうし、それがユクモ村所属のハンターたちに伝わるのも、時間の問題だろう。  本当のことを知ったら、あいつら、なんて思うかな。  ジンオウガが好きすぎてジンオウガになるなんて、お前らしいなって笑われるだろうか。  まさか、あの「加工屋の噂」を実行するために、今までずっと風呂にも入らずに例のジンオウSシリーズを着続けてたんじゃないんだろうな、なんて、おれの企みに気付くやつもいるだろう。  しかし、かつての仲間達と言葉も交わせない身体となった今では、それもただの妄想、聞くも叶わぬことになってしまった。 身体は屈強な獣のものに形(なり)変わっても、その内面にある記憶と思考は、人間のものでしかなかった。  『……ウォン!』突然、ジンオウガは顔を上げて、何か決意したように一吠えした。  だから彼は考えた。  たとえかつてのように共に過ごせなくても、絶対にあいつらと敵対するような状況にはなりたくない、と。  ハンターズギルドに狩猟依頼が出されるモンスターは、個体数が増え過ぎただとか、商人や旅人の通行ルートに居座っていて手を出されるかどうかわからないとか、ほとんどが自然や人間に危害を加えかねないものだけだった。  ならば、おれは人間に狩られる理由を作らなければいい。  日中の少年とランサーとの戦いのように、ひたすら向こうの攻撃をよけて、かつ自分からは人間を一切傷つけないように「避け続ければいい」のだ。  さらにいえば、他のモンスターとの縄張り争いなんかも避けた方がより良いだろう。  ハンターとして数多くのモンスターと対峙してきた頃の彼は、ヒットアンドアウェイに定評があった。  それは、モンスターをよく観察し、その攻撃とそれに伴い生じる隙を見極める知識と、観察眼の賜物だった。  その強みを、今度はモンスターではなくハンター相手に使えばいい話だ。むしろ、自分もかつてハンターとして得物を握った経験があるからこそ、モンスターの行動を見極めるよりも簡単なことかもしれない。  全てを避けて、ジンオウガとして生き続ける。  それが、彼の決意だった。  どこか吹っ切れたジンオウガは、こころなしかその口角を上げ、晴れやかな表情を獣の顔に浮かべているようだった。  ジジジ……  いつの間にかジンオウガの身体にまとわりついていた何匹かの雷光虫が、彼の新たなスタートを祝福するかのように淡い光を放っていた。  グギュルル……  おっと、音を発していた虫は雷光虫だけではなく、彼の腹の虫もであった。  そういえば、今朝から今に至るまで、自分に見惚れたり旧友たちと戦ったりと、なんやかんやで食事を摂ることすら忘れていた。何か(彼の場合、たいていはジンオウガだ)ひとつに夢中になると、寝食すら忘れてしまうのは昔からの悪い癖であった。  生存欲求である食欲には逆らえず、ジンオウガはガーグァの住処へと足を運ぶのであった。  ガーグァの主食は、雷光虫であった。  全身から電気を発していて、とても直接口に入れられそうにない雷光虫であったが、ガーグァのくちばしは絶縁体を有していて、眩い光を放つ雷光虫もそのまま捕食することができたのだった。  そこで雷光虫は、ガーグァにとっての捕食者である雷狼竜、ジンオウガの威を借りることにした。  ジンオウガの身体に棲みついて、その身をガーグァのくちばしから守るの同時に、主であるジンオウガと電気エネルギーを共有する、共生関係を築いたのだ。  ジンオウガがガーグァを狩ることも、自然の関係の一部だった。  『グルル……』  渓流、エリア2。  ガーグァもやってくるこのエリアで、ジンオウガは息を顰めて獲物の隙をうかがっていた。  獲物の命をいただく。自然の一員であれば、避けては通れない道だ。  ユクモ村の人間としてハンターを営んでいた頃も、こうして今ジンオウガとして捕食を行おうとしている時も、「彼」もまた自然の一員であることには変わらなかった。  ジンオウガの視界に、ガーグァが二匹、よたよたと歩いてきた。  今だ。 『ッッオァンッ!!』  ガーグァたちの死角から飛び出したジンオウガが、その強靱な膂力(りょりょく)を持ってして、力強くガーグァのうちの一匹に向かって鋭い爪を叩きつける。  一瞬のうちに、その獲物は息絶えた。  残る一匹のガーグァはその場に卵を生み落とし――驚いた際に卵を生み落としてしまうのは、ガーグァの習性だ――、よたよたと走り逃げていったが、ジンオウガはその1匹も追いかけて仕留めるようなことはしなかった。いたずらに、自分には不必要な命まで奪うことはしたくなかったのだ。  こうして、ジンオウガの前には1匹の丸鳥の骸と1個の大きな卵が残った。  人間は剥ぎ取りナイフを使って小型モンスターから生肉を切り出すが、ジンオウガには牙という天然のナイフが備わっていた。  ガーグァの肉に、自身の牙を突き立てる。以前からジンオウガの捕食風景もよく観察していた事もあり、ジンオウガの牙で獲物の肉をえぐる行為に、そんなに戸惑いはなかった。  やはり空腹の後の食事は腹に染みる。ジンオウガは獲物の命に感謝して、その肉を噛みしめていた。  そういえば、あれも食べられるかな。  ジンオウガは少し離れた場所に生み捨てられた丸鳥の卵に視線を向けて、先程まで食していた肉は少し残して卵の方に黄色い手、いや、前足を伸ばした。  ハンター業譲りの丁寧な手つきでそっと卵をたぐり寄せ、その殻の頂点を爪で割り、舌を用いて中身をすする。  人間の時は温泉卵としてよく食べていたが、生も悪くない。  あっという間にガーグァの肉と卵を平らげてしまったジンオウガは、今一度その残骸に感謝の気持ちを表し、そして満足気な表情で寝床へと向かった。  澄んだ夜空の星々も、ジンオウガが身に纏った雷光虫に負けない輝きを放っている。  ジンオウガはゆったりと寝床に横たわり、食前の決意を思い出しつつ深い眠りについた。  4  渓流で互いに合流したザントとツキマサがその報せを受けたのは、二人でユクモ村へと帰還した直後だった。  先日、ユクモ村のクエストに出発したあるハンターが、ベースキャンプで消息を断ったのだ。  依然としてハンターズギルドでは彼の捜索を続けているが、ある部位はその場に脱ぎ捨てられ、またある部位は砕けてバラバラの破片へと化していた彼の防具、ジンオウSシリーズと、それらとお揃いのジンオウガの上質な素材を用いた武器を残して、その姿を消していたのだった。  証言らしい証言といえば、当時ベースキャンプで待機していた転がしニャン次郎が、彼からそれこそ支給品ボックスから引っ張り出してきた、不要な空ビンを一本、クエスト開始後すぐに彼の自宅に届けるように依頼されたということだけだった。  ユクモ村の名物でもあった、「変わりものの彼」の突然の失踪に、集会浴場は重く、苦しい雰囲気に包まれていた。  「くそっ……!あいつに限って……!!」  そのハンターの中でもとりわけ、やりきれない思いを顕にしていたのは、彼と長い間苦楽を共にしたザントだった。  彼は変わっているだけではなく、実力もあるハンターだった。まさか彼がクエストに失敗するどころか、こつ然と姿を消すなど、考えもしなかった。  「おっさん……」  力無くテーブルに拳を叩きつけたザントの心境は、期間は短くとも同じように彼とともに狩猟を行ったツキマサにも痛いほど分かった。  しかし、ツキマサの脳裏には何か引っ掛かるものがあった。  「モンスターの装備を長い間着続けると、『戻れなくなる――モンスターに変わってしまう』」という、少し前に流れたばかばかしい噂。  ジンオウS装備を生産してからというものの、その装備を脱ぐことを不自然なまでに拒み続けていた、ジンオウガ・フリークの「彼」。  そして先日の、自分自身の姿に見惚れ、かつ敵であるこちらの攻撃を的確に避けてきたジンオウガ。  まるでピースがはまるように、ツキマサの中で何かが組上がっていったが、そのパズルを完成させるための糊もフレームも、存在し得なかった。存在するわけがないのだ。  あほか。そんなおとぎ話、現実に起こり得るわけがない。  そうしてツキマサは、あほらしい妄想を、胸のうちにしまいこんだ。  渓流、エリア5。  今日も爽やかな朝日が差しこむこの竹林を、ジンオウガは四つの足で闊歩していた。  全身の感覚を集中させながら、周囲の気配を探る。いわばパトロールに歩いていたのだ。  ん……、やはり何かが来ているな…。  どこにいるかわからないその何かを警戒しながら探っていたジンオウガ。  ピカッ! バリィッ!!……  その周りを、ふいに一筋の稲光りが走った。ジンオウガが、無意識のうちに落としていた雷だった。 おっと、あぶないあぶない……。  ジンオウガは、焦った表情を浮かべながら我に帰った。 昨日の夜から纏わりついた雷光虫もそうだが、こうしている間にも、彼の中でジンオウガの能力がひとつ、またひとつと覚醒していっているようだった。しかし、その知能だけは、依然として人間のもののままだった。  このように、無意識のうちに落雷なんか起こしていたら、そのうち人間にも危害を加えてしまうだろう。  なんとかしてジンオウガの力をコントロールする術を身につけなくては。  焦るジンオウガの耳に、人間の声が入ってきた。  「あそこにいるのは…ジンオウガだ!」  「よせ、気付かれたらマズい」  それに続いて、先程の何かが、姿を表した。  遠目に見える、あいつらは、ギルドの行方不明者捜索班か?それに、ハンターも数名いるようだ。  たぶん「おれ」を捜しているのだろうけど、無視するのが一番かな。  ジンオウガは人間達に気付いていないふりをして、その場を静かに去った。  おれはお前らのもとに「戻れない」。  だから、お前らを避け続けるのだ。  5   渓流、エリア6。  昨日に引き続いて、大滝へとやってきたツキマサとザントの目的は、「行方不明になった彼の捜索」だ。  すでに渓流では、ギルドが派遣した捜索班と、ツキマサたちと同じように彼の捜索の命を受けたハンターたちが何組か、捜索にあたっているらしい。  「…っそっ、アイツはたぶん生きている。何が何でも見つけて帰るぞ、ツキマサ!」  とは言うものの、もしかしたら、彼は死んでいるかもしれない。ザントは頭にちらつく最悪の妄想を振り払うように、声をいつもより荒らげてツキマサを鼓舞した。  ツキマサは、何も言わずに頷いて見せた。  ドカッ、ドカッ。  ジンオウガの次の「パトロール」の目的地は、エリア6、昨日、旧友達と交わった因縁深い場所だ。  ドカッ、ドカッ。  きっと、この先にもなにかがいる。先ほどの捜索班とは違う、避けなくてはいけない、なにかが。  そう確信しつつもジンオウガはその四肢の歩みを止めなかった。  ドカッ、ドカッ。  その気配に、一歩づつ近づいていく。  やはり悪い予感は間違っていなかった。  ドカッ………。  その行く手には、もう二度と会えないし、二度と会わないと決めた、ふたりの狩友の姿があったのだ。  こちらを見つめたまま立ち止まるジンオウガと、ふたりのハンターの間には、なぜだか互いに気まずい空気が流れているように思えた。  ただの敵同士でしかないはずなのに。  「……早速邪魔が入ったか…」  ザントはそう呟きながら、その手にランスと大盾を構えたが、  「待って、おっさん」  それを制止したのはツキマサだった。  そうしている間にも、ジンオウガはこの場から立ち去ろうと、静かに身体の向きを変えている。  ここで行動に移すべきか?でも、もしアテが外れてたら、相当恥ずかしい思いをすることになるんだろうな。  それでもツキマサは躊躇わなかった。  そして、その小さな口を開き、目の前の獣に向かって呼びかけた。  「…先輩!」  『…!……オォン…?!』  「先輩」と呼ばれたジンオウガは、驚きの表情を浮かべて、こちらを振り帰った。  「オイ、ツキマサ、一体どういう……」  「おっさんには後で話すよ。オマエ、ユクモ村のハンターだったんだろ?それも、ジンオウガが大好きな………」  戸惑うザントを尻目に、ツキマサはジンオウガに語り続けた。自分でも信じられないし、絶対にありえない。それでも、一度開いた口は止まらなかった。  こちらに向き直ったジンオウガは、その目にどこか悲しげな光を浮かべて、そして静かに頷いた。  やっぱり、元が人間だから、こちらの言葉を理解し、こういった仕草も取れるんだ。  ツキマサの中の非現実的な推理が、確かな事実に変わった。  目の前で、一人の少年ハンターと、一頭のジンオウガが、会話を繰り広げている。  正確にはジンオウガの方は言葉を発さず、ただただ少年の言葉を聞いて、ときたま相槌まで打っているようだったが、それでもザントにとってはありえない光景だった。  「にしてもさ、先輩はこないだまで風呂に入ってなかったと思ったら、まさかあの噂を本当に実行してるなんて、考えもつかなかったよ。先輩らしいとは思うけどさ」  気付いていたのか、照れるな。と言わんばかりにその爪で頭を掻くジンオウガは、確かに「彼」らしかった。  人間同士だった頃のように、他愛のない会話で談笑しているツキマサとジンオウガの間に、ザントは口を挟むことにした。  「……それで、ギルドにはどう報告すればいいんだ。まさか行方不明者がモンスターになってました、とは言えるわけがないだろう」  ザントの質問を聞いたジンオウガは、肯定の意味で頷いた。  当然ながら、言葉での返事は帰ってこない。  言葉は発せなくても、ジンオウガは何かを伝ようと、ザントをじっと見つめている。  ザントはその意志を汲み取った。  「……降雨に起因する事故死扱い、死体の回収不可能ということでいいな。お前が生きているということは、ここにいる3人だけの秘密だ」  『…ウォン!!』  それがいい。ジンオウガは力強く頷き、そして軽くひと吠えした。  たとえ姿は変わっても、絆はハンター同士の心の中で生き続ける。  それが、狩友というものだ。  「…また会おうな、ジンオウガ先輩!」  「ああ。長生きしろよ。やわなハンターなんかに狩られるんじゃねえぞ」  雷狼竜に別れを告げた二人からは、先日まで向けていた敵意は消えていた。  『……アォン!』  そっちこそな。ジンオウガの吠え声は、そう二人に伝えているように聞こえた。  ジンオウガは二人のハンターの背中を見送り、自分もパトロールを終え、帰路へとついたのだった。  6  ユクモ村集会浴場に戻ったザントは、報告書を前に頭を抱えていた。  どのようにしたら、彼の末路が「死体の回収が不可能な事故死」であると立証できるだろうか。  うっかり「ジンオウガに捕食されたので死体がありません」なんて書いてしまったら、ハンターズギルドはその矛先を渓流に生息するジンオウガ――無論、彼も含む――に向けるだろう。  「ははーん、もしや言い訳が思いつかなくて書けなくなったんだな、おっさん?」  普段ならベテラン故にクエストの報告書もそつなく書きあげてしまうザントが、珍しく報告書に悪戦苦闘している姿に、群がってきたのは、そう声を掛けてきたツキマサだけではなく、「彼」と狩猟を共にしたハンター達の数々もであった。  「みっ、見るな!!」  ザントはとっさに報告書を隠した。ここに書いてあることは、嘘八百だ。  「ま、先輩方も。それよりも最近、渓流に「変わりもの」のジンオウガがいるんだけど、そいつとは戦わないほうがいいぜー。だって攻撃しても全部避けられちゃうんだもん」  ツキマサは別の話題を振って仲間達の関心をそちらに向けた。おしゃべりなのはツキマサの悪癖のひとつだ。  まあ、こいつらも彼の仲間だ。仮に3人だけの秘密である事実に気付いたとしても問題はないだろう。  ただ、俺達ハンターが彼と敵対するような状況は、絶対に作りたくない。  仲間達のにぎやかな声を背に、ザントは再びペンを手に取り、問題の報告書へと向き直った。  渓流、エリア2。  ジンオウガは、今日の獲物であるガーグァを待ち構えつつ、日中の出来事について思いふけっていた。  まさか、ツキマサは気付いてたなんてな。  突拍子もないことを妄想して言い出すのは、ツキマサの昔からの悪癖のひとつだった。  ツキマサがおかしなことを口走るたびに、おれ達がたしなめてやったのだが、今回はそれに救われたようだった。  『グァーーッ。』  そんなことを考えているうちに、ガーグァが数匹、目の前までやってきていた。知らないうちに、ジンオウガに共生していた雷光虫をついばんでいたようだった。  『…オァンッ!!』  ジンオウガがガーグァ達目掛けてその爪を振り降ろしたときにはすでに遅く、ガーグァたちはよたよたと走り逃げていったのだった。  『ガルルル………』  なんて肝が据わったガーグァたちなんだ。いや、臆病なガーグァにしては据わりすぎているんじゃないのか。まったく、おれも舐められたものだな。  ほんの少しの呆れと苛立ちを感じつつ、諦めたジンオウガは別のエリアへと新たな狩り場を探しに向かった。  ふと、エリア6の水面に写る自分の姿に目が留まる。  筋肉質かつ、引きしまった青緑の鱗に包まれた肉体。  ただ、標準的なジンオウガよりは、少し痩せているようだ。ここのところあまり食べてなかったからな。ジンオウガらしい身体を作るなら、もうすこしだけ食う量を増やさなければ。無論、生態系に影響を及ぼさない範囲で。  そんなことまで考えつつ、ジンオウガは改めて自分自身の身体を観察し始めた。その身に纏われた雷光虫が、暗闇の中の鏡を照らす。  水面に写るジンオウガは、長いマズルと整った顔立ちの、鋭い眼付きでこちらを見つめている。その顔からは、竜人族のように尖った耳と、狼の耳のような印象を与える黄色い角が生えていた。  強靱な筋肉によって太くなった青い腕から伸びた黄色い獣の前足の指先が、水面の鏡像をいとおしそうに辿たどる。  やはり、おれの身体は美しく勇ましい、憧れのジンオウガそのものになっていた。 『ッッウォーーーーーーーーーーン!!』  感極まったジンオウガは、その獣の首を上げて天を仰ぎ、大空に向かって咆哮を上げるのもそこそこに、今度こそ今日の獲物を探しに池の前を去った。  この先、ジンオウガとして過ごす時間が長くなっていくに連れ、やがて字の読み書きも、武器の扱いも、人間らしい立ち振る舞いも、全て忘れてしまうときが来るだろう。  だが、人間だった頃の、ジンオウガに対する無類の憧れの感情、そして、ジンオウガになってから、狩友たちと交わした約束は、決して忘れたくなかった。  ジンオウガであっても、おれはおれだ。  そのジンオウガは、渓流で狩猟を行う者のあいだからは「変わりもの」と称されていた。  人間にはめったに危害を加えず、ハンターたちが戦いを挑んできても軽くいなしてしまい、まるで狩猟にならなかったという。  また、とあるハンター見習いのアイルーからの目撃情報によると、水辺で水面に自分の姿を映してはみとれるような仕草をとっていたという。  そのジンオウガが目撃され始めた少し前、渓流のクエストにひとり赴いたとあるハンターが消息不明になるという事件が発生したが、そのハンターを知る仲間の間ではこのように噂されていた。  あのジンオウガこそ、ジンオウガを愛していた「彼」自身なのかもしれない、と…  「変わりもの」のジンオウガは、今日もこの渓流でその生を歩んでいる。 ある雷狼竜の噂 完