祭典の中、滅尽龍  ラニャーニャ村のカク  1 黒山の人だかりでごった返す、幕張メッセ・ホール。 展示会にコンサート、ファンイベントなどさまざまな催し物が年がら年中開催されているこの施設だが、今日は人気ゲーム、「モンスターハンター」の公式イベントが開催されていた。 ゲームのタイムアタック大会はもちろん、ステージイベントや様々な展示など全てのモンハンファンが楽しめる、モンハンの「祭典」。 大会の決勝戦に出場する選手を始め、企画の一つとしてモンハンに関連する自主制作作品を展示しにきた人、もちろんただ単にこのお祭りを楽しみにきた一般のファンなど、全国から様々なモンハンファンが一堂に会しているのだ。 今回のお話の主人公である彼も、モンハンは好きだし、せっかくだからとこの祭典にやってきたファンの一人である。 とくに連れ合いもおらず、一人でやってきた青年。黒のチェック柄の半袖シャツを着こみ、背負っているリュックサックには以前購入したモンハンでの得意武器のチャームを付けている。このイベントにいるのは皆モンハンファンであり、大なり小なり何らかしらのモンハングッズを身に付けた姿は珍しくなかった。 二つのホールを広々と使った会場の中は、様々な展示や催しものが点在しており、どれから見て回ればいいのか目移りしてしまう。 そんな中、青年の目に真っ先に入ってきたのは、入口付近に設置されている、モンハン最新作のパッケージにも描かれたメインモンスター、ネルギガンテの巨大なオブジェであった。 非常に精巧にネルギガンテの半身が再現されており、特徴的な2本の角や、両腕から生え揃った無数の棘、大きく開いた口から垂れる涎まで、そっくりそのままゲームから繰りだしてきたようだった。 ゲームではよく見てるけど、実際の大きさだとこんなにおっかないんだな。 青年は目の前のモンスターの迫力に、内心たじろぎ、関心していた。 数十分はネルギガンテの前から動けなかった。 観察すればするほどとてもよく再現されているのがわかるし、それになぜだかここは妙に居心地が良い。 といっても、別の場所では面白そうな展示もたくさんあるし…。 そのままネルギガンテに背を向けて、別の展示へと向かおうとした。  2 なんだか、鼻がむずむずする。 青年がそう違和感を感じ始めたのは、歩き初めてからしばらく経ったあとだった。 鼻先の違和感の正体を尽きとめようと、彼はスマートフォンを取り出し、インカメラモードにして鏡代りとした。(ここからトイレまでは、しばらく距離があった) そして、彼は自身の身体に起きている変化を目の当たりにした。 違和感を感じていた鼻は黒ずみ始め、すでに人間の鼻ではなく、ネコ科の動物のようなマズルとなっていた。 それだけではなく、彼の髪からは、2本の白くて太い、大きな角が生え始めていた。 それらの変化をインカメラ越しに写し出しているスマートフォンを握る彼の手も、全体が太く、大きくなり始めている。皮膚は赤みがかかり、そこから無数の黒い棘が生え揃う。指先からも鋭い爪が生え、手のひらにはピンクがかった肉球まで形成されている。 「ーーーーッーーー!?」 青年が声にもならない叫びを上げ、周りから注目されている間にも、変化は着実に進んでいた。 彼の頭からは髪の毛は消え失せ、かわりに黒い鱗と棘が全体を覆い始める。 目も人間のものでは無くなり、鋭い黄金色の龍の眼へと変わった。 そして口は大きく裂け、鋭利な牙が生え揃った。 「なんだなんだ?」「ネルギガンテのコスプレか?」 いつの間にか周囲に群がっていた野次馬にそう指摘されるまでもなく、彼は自分の身に起こった事に気が付いていた。 青年は、ネルギガンテへと変身していたのだ。 とはいえ、今の彼は顔と腕だけがネルギガンテのものに変わっており、さながらチェックのシャツを着た、ネルギガンテの獣人とでも言える存在になっていた。 『グルァ………』 変化は落ち付いたようだが、彼のネルギガンテの口からは唸り声が漏れる。 わからない。なんでこんなことになったんだ? 俺は、ネルギガンテじゃない。人間、なのに… 「すげえ!ネルギガンテだ!」野次馬は口々にこう言った。 それどころか、小さな子供は彼の恐ろしい姿に泣き出してしまっている。 だから、俺は、ネルギガンテじゃ、ない…… ネルギガンテの筋肉質な腕で、ネルギガンテの頭を抱える青年。 そうしている間に、またしても彼の身体は違和感を訴え始める。 今度の違和感は、尻の方だ。 尻のあたりが強く引っ張られる感覚の正体は、新たに生えてきた尻尾だった。 太く、黒く、棘だらけのしっぽは、やがて彼の穿いていたジーパンを突き破り、その姿を野次馬たちに晒す。 シャツの下の肩からも、太く長い棘が数本生え、シャツを無残に突き破った。 ガクン。彼は崩れるように手を地面につき、四足の体勢となった。 それと同時に、足の骨格は完全に変わり、黒い棘だらけの後脚といってもよいパーツへとあいなった。 「落ち着いてください!みなさん離れて!」 異常を感じた大会スタッフが野次馬の誘導にあたり始める隙にも、彼の変化は進み続ける。 唯一無事だった彼の胴体も、ネルギガンテの手足に見合うように太く大きくなり、着ていた服やリュックサックのベルトは完全に破け散った。  その棘だらけの背中からは、やはり棘に覆われた2対の大きな翼が生えてきた。 『ウ……ガァァアアアアアッ!!』 こうして彼は、完全なネルギガンテへと変身した。 ただし、サイズはかなり小さい。ゲームで言うところの最小金冠だろうか。 「おおお!ホンモノのネルギガンテだ!」「あっちの像と違って生きてる!すげえ!」 スタッフの誘導で野次馬たちはネルギガンテから離れていたが、それでも彼に向かってカメラやスマートフォンを向け、悲鳴と歓声を上げる。まるで素晴らしいショーでも観ているかのようだった。 『ガァァァッ………』 この事態に一番怯え、身を震わせていたのはネルギガンテと化した青年自身だった。 どうすればいい?一度地に降り立てば、自らの身を顧みず破壊の限りを尽くす古龍として知られるネルギガンテ。今この場で俺が暴れ始めたら…きっと周囲にいる多くの人間が傷つき、死に至る。なんとか抑えろ。今は抑えるんだ。 だが、今この場をしのいだところで、これからどうするんだ? 祝日があけたら学校もある。この身体で家には入れるのだろうか?学校で講義を受けられるのだろうか?そもそも病院に診てもらうべきか?獣医にいけばいのか?いや、ネルギガンテを診てくれる獣医なんてこの世界には存在しないだろう。 ああ、一体どうすればいいんだ…… 『グルルルルル…………』 ネルギガンテはその場で翼を小さくたたみ、頭を抱えて悶えた。 大きな口の牙の隙間からは、嗚咽と涎が漏れ落ちる。 「みなさん離れて!これからこの人を外に誘導します!」「大丈夫ですか?歩けますか?」 スタッフにそう呼び掛けられて、ネルギガンテは顔を上げた。 彼の視線の先の、会場奥手では機材を搬入するための巨大なシャッター扉がゆっくりと上がり初めている。 ここから外に出ろということだろうか。 ネルギガンテはスタッフの先導に沿ってゆっくりと、四本の脚で前へと歩き始める。 素直に人間の言うことを聞くネルギガンテという光景は、周りの人間にはおかしく映った。 ネルギガンテがホールの外に出たことが確認されると、ゆっくりとシャッターが降りた。  3 翌々日。 青年の自室。起床時間を告げる目覚まし時計がけたましく鳴り響く。 それを止めたのは、布団の中から伸びた、黒い鱗と棘に包まれた、赤みがかった手の先にある、鋭い爪だった。 布団の中から現れたのは、青年同じ背格好の、だが青年より遥かに筋肉質な身体をもつネルギガンテの獣人だった。 あれ以来、一晩寝たら完全なネルギガンテの姿から人間の体格には戻れたものの、人間の姿には戻ることができなかった。 どうしてこのような状態になったかは分からないが、このネルギガンテ獣人の姿を受けいれるしか無い。 それはそうと、今日は大学がある。 青年は自身の肩を見て、軽く溜息を吐いた。 彼の両肩からは何本もの鋭い棘が生えている。実は昨夜、ネルギガンテの姿になったあとに通販で購入した園芸用のハサミを使って、寝る前に爪切りの要領で肩の棘を切り落としたのだが、ネルギガンテといえば驚異的な自己再生力の持ち主である。彼の肩からは一晩も経たないうちに新たな棘が生え揃い、おまけに再生した棘は強度を増すので再び園芸ハサミで棘を切ろうとしたところ、逆にハサミのほうがダメになってしまった。 これでは彼の一張羅であるネルシャツも袖、いや肩を通りそうに無い。ハサミを買う金でノンスリーブの上着でも買うべきだったか。しかし、背中から生えている翼はどうするんだ。 これでは着る服が無いではないか。 一応、尻尾はズボンに穴を開ければ通せるが、彼には手芸のスキルが無かった。 かといって一応穿いてるパンツ一丁で通学電車に乗る度胸もないし、そもそもこのネルギガンテの姿を通勤客にどう見られるかもわからない。 教授に「ネルギガンテになったので学校を休みます」と連絡するのも、そもそも教授がネルギガンテとはなんたるやを知らない可能性が高いので気が引ける。 だが…… とりあえずネルギガンテ獣人が着られる服が必要だ。 青年はベッドに深く座りこみ、ネルギガンテの喉をグルグルと不満気に鳴らすのだった。 祭典の中、滅尽龍 完